毒壺

本音。 世の中にこれまで生きて思ったことをここに記す。 重要な事から下らない愚痴まで。

阪神・淡路大震災を振り返って…

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あれからもう27年、ですか…

刻の流れは早いものですね。残酷にも思う。

そういえばこのブログでは東日本大震災の体験記は記載したがこちらはしていなかったのでヘンなタイミングではあるが記しておこうと思う。

私は当時、大阪に本社がある名古屋のケータリング事業を行っている会社で働いてまして、本社の要請を受け、支援部隊を結成し2週間区切りで応援に行くことになりました。

任意、希望者を募っていたのですが、当時は正義感が強い若者だった(笑) ので震災2週間経過、第二便で志願しました。

第一便は現地に行くことすら大変だったとのことでしたが、私の時は新幹線で大阪までは行けました。そこからどう行ったか定かではなかったですが何とか夕方に現地入りし自社が経営している高級居酒屋に連れていかれました。

「なんだ、好待遇じゃん」とおいしい夕飯にありつけると思いきや、それどころではなく、ホテルはどこも満室。とれなかったと屋根裏部屋へ通された。なんとそこで宿泊。マジか…

仕事の内容は、昼間のみ稼働しているラインを借り切って夜間にひたすら、おにぎり等作って災害支援している自衛官、警察官の方々の朝・昼食を作ることだった。

2月になろうとしている時期の夜中。すっげー寒い。工場に入る前夜中の極寒の路上で待ち合わせしてる時思わずポケットに手を入れていたら当時応援に来ていた別の部署の課長に突然「手を出せっ!」と怒鳴られた(笑) いやいや、失礼かもしれんけどケースバイケースでしょっ!

んで、いざおにぎり作りだすとハイペースで作らなくっちゃいけないからコメがめっちゃ熱いっ!両極端だっての(笑)

昼夜逆転生活で2週間過ごすことになったのだが、その生活に慣れてくると一度被災地は見ておいた方がいいと思い電車で行けるとこまで行った。(決して野次馬根性じゃないよ。きっと役者の引き出しになると思ったので)

記憶がもう曖昧だが確か長田駅、だったかなぁ、ここまで、っていう一応の終点駅。乗客の方が、買い出しの話とか生活に関する情報交換してたりして、なんだかちょっと申し訳ない気持ちになった。自分は一応弁当ではあるが自社の製品で食と住は保証されているわけなので…

そして駅に着き外に出てびっくり!

何ていうか、ホントに真っ黒な世界。全部丸焼け。炭だらけ。焦げた匂いなのか異臭が。そして、そんな炭だらけの中でたった一店だけ大きな鍋を掻きまわして豚汁を売っている人がいた!さすが関西人!

闇市の起源を見たような気がした(笑)

そして土地勘もなく、宛てもなく街に出てみると…2週間経過していてもヒドい状態だった…駅前はまさに戦後の焼け野原。空襲に遭うとこんな感じになるんだな、と疑似体験できた。そして街…

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これは借り物ですけどまさにこんな状態。普通に民家が崩れたまんま。で、引いたのが崩れた民家の入り口、門に「まだ一人家の中に埋まっています」とか書き残してあって…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

救助?捜索隊?がどれほど手が回っていない状態か理解できたし、非常にお気の毒と思った。

通電はしてないだろうが、ブチ切れた電線が垂れ下がっていて、立体駐車場から落ちた車が縦になってそのまま。ビルがポキッて折れ曲がっていて…まさに地獄絵図。

マジでゲームの絶体絶命都市のリアル版。地面にガラスとか散らばってて、危ない。

家の入り口が潰れていて、窓から出入りしている人も見かけた。コンビニはどこもやっていない、というか棚もガラガラ。店なんてやってられる状態じゃなかった。自然災害は恐ろしいと実感した。

名古屋に帰って普通に何気なく暮らせるということの有難みが痛いほどわかった。