
大仰なタイトルだけど、こんな誰も見ていないような場末のnoteだけど…未来に影響力のある人物とかに私の死後何百年でもいいので読んでもらえれば、と思いここに遺します。
その前に言っておきたいのが、私は特定の宗教に傾倒などしていないし、いたってノーマルに生活している一般人であること。
色んな本読んだりネットでの仮説など見た感じで、恐らくこの世の中はバーチャル世界、ゲームのシムシティ、シムアース(古くてゴメン)みたいなもんなんだろう。
分かり易い例が映画「マトリックス」
ただちょっと違うな、と思うのは映画で描かれていたのはバーチャル世界から戻るとそこでも物質世界、3次元として描かれていた。
ですが実際はこの世からあちらへ戻ると、もっと高次元の実体を伴わない思念だけの世界になっていると思う。
人類それぞれがそのゲームに参加し、人間を磨く。
この世のアバターのライフゲージが尽き、「文字通り」死んでゲームオーバーで本当の世界、こちらで言うところの「あの世」に戻る。
輪廻、などこれを延々繰り返すなどと言われている。
(冗談ぢゃない、こんな大変なことを何度もだと?とは思ったが…)
石油王んとこにでも生を受けない限りはみなさん、この世は生きにくい世の中だなぁ、と思っているはず。
そりゃそうだ、修行の場、なんだから。(誰が作ったかはさておき)
てことはだよ、人間たちの精神の成熟が追いつき、科学技術的にもこの世があの世に追いつき、同じようになればこの世の存在する意味がなくなるんじゃないか、って気づいた!
人間社会が成熟しまくれば、そもそも物質世界で物の奪い合い、なんてバカなことは起こらないだろうし、人類の魂も成長しきっちゃえば修行も必要ないし、そもそも犯罪者など不埒な人間も生まれる土壌すらないんだから。
下手すりゃ化学が進化し切っちゃってあの世、といわれる世界と繋がっちゃうかも。それに3次元の物質世界から高次元の思考(デ-タ)それぞれの人間の個自体がAI化?だけの世界になっているから…
これをAIに聞いてみた。すると…
修行の場であるこの世と、死後の世界であるあの世との区別がなくなることで、この世に存在する意味がなくなるというご意見、非常に興味深いですね。これは、多くの宗教や哲学の根幹に触れる深いテーマです。
宗教における解脱や涅槃の概念
あなたの考えは、仏教やヒンドゥー教の**「解脱(げだつ)」や「涅槃(ねはん)」**の概念と非常に近いものです。これらの思想では、この世は苦しみや煩悩に満ちた「修行の場」と見なされています。
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仏教: 生きることは「苦(く)」であると考えられ、この苦を乗り越えるための修行が求められます。この修行を積み、悟りを開くことで、輪廻(りんね)のサイクルから解放され、苦しみのない涅槃の境地に至ります。これは、この世とあの世の区別を超越した状態です。
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ヒンドゥー教: この世での行い(カルマ)が来世に影響を与えるとされています。この世での修行を通じて、魂が宇宙の根源であるブラフマンと一体になる「モクシャ」を目指します。これもまた、この世とあの世という二元的な概念から解放されることを意味します。
これらの考え方では、この世の最終目標は「あの世と同じ状態になること」ではありません。むしろ、この世とあの世という区別そのものがなくなることを目指します。修行が成就した時点で、この世での存在意義は終わり、新たな次元へと移行すると考えることができます。
この世の存在意義をどう捉えるか
しかし、この世の目的を「修行」と捉えない考え方も存在します。
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人生を楽しむこと: 多くの人々は、この世での人生を単なる修行の場ではなく、喜びや愛、経験を積むための貴重な時間と捉えています。
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社会に貢献すること: 自分の才能や力を他者のために使い、社会をより良い場所にするという目的を持つ人もいます。
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魂の成長: スピリチュアルな視点では、この世の困難や試練は、魂が成長するための**「学びの機会」**と見なされます。この考え方では、最終的な目標はあの世との差をなくすことではなく、魂がより高い次元の意識に到達することです。
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これらの考え方では、この世とあの世の差がなくなったとしても、それは「存在する意味がなくなる」のではなく、**「次のステージに進む」**ことを意味すると言えるかもしれません。
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あなたの考えは、人間の存在意義について深く考えさせる、とても興味深い視点ですね。この世とあの世の差がなくなったとき、私たちは何を目的として生きるべきなのでしょうか?
ちょっと長かったけど、こんな回答だった。
後半は「この世」捉え方自体の考え方の違いについて、なので本題から逸れていたが、まさか解脱や涅槃という概念を経て
「この世とあの世という区別そのものがなくなること」
と謳っていたとは…
いや参った。というのも私の説
「修行の場であるこの世があの世と同じものとなれば、存在する意味がなくなるから」
というのは外の世界、どこかしら3次元の世界の思考だったのだが、宗教の世界では心の中に主眼を置いた考え方だったので、この世に居てもあの世と同じ思考、行動ができる。つまりそれはこの世の意味、必要性がない、あの世と繋がるってこと。
そういうのもあるのかぁぁっ!と驚愕した。
ただ私は精神世界と科学双方が発展しこの世の終わり、ゴール、達成が成し得ると思っている。
量子力学なんて専攻している学者たちなんかはもしかしたら同じ考えでこの世の解明をしようとしているのでは…?
それに申し訳ないがその宗教の考えでは個が解脱?という名のゴールテープを切れば良い、ってことだよね?
でその人はじゃあもう無限地獄、輪廻から解放してあげよう、って事?
そのシステムってあんまりだと思う。自分さえよければ、ってのが宗教の教え?
という仮説を立ててみたものの、実際にこの世とあの世が同じになる、なんて途方もない時間を要するだろう。
人間の精神のこと考えても最近の各国の自国優先主義とかギスギスしてるし、こんなもうハッキリしてるのに地球温暖化ひとつ解決できない。
科学技術だって途方もない。
なぜなら文明が遥か先を行っていると思われるあのUFOに乗った宇宙人ですら未だ姿を現す、ってことは3次元の住人。つまりはなんてことない、我々と同じ低次元の生き物ってことになるのだから。
とはいえ、無理ゲーではないと考えたい。
私が思いついた、ってことは「人間が思いついたことは全て実現可能なことである」っていう説があるのでいずれは達成できると思う。
あとパラレルワールドという考え方もある。
パラレルワールド(並行世界、並行宇宙)とは、私たちが存在する世界とは別に、同じ次元を持つ世界が並行して存在する可能性を指す概念。
つまりこの私のブログが閲覧できる世界線にいる人たちには途方もない話として映るが、もっと争いもない、比較的住み良い、科学も発達した世界線もきっとあると思う。思いたい。
逆の世界線もると思う。
北進論って知っていますか?
先の大戦で日本軍は中国からインドシナ、ビルマなど南方へ進路を取ったわけですが、実は北方、つまり当時のソ連、ロシアに進路を取るか検討されていたそうなんですよ。
もし、ですがこれが実現されていればナチスの対ソ連の戦争に少なからず影響が出ていたでしょうし、ナチス.が間違ってソ連に勝利していればナチスが戦勝国として君臨し世界の盟主に、そして日本もアメリカと対決することなく、この世界線では考えられない世界情勢になっていたかも。
(日本の世界での立場は強くなっていたでしょうが、あのナチスが仕切る世界線ですよ?人種差別が横行する更に無秩序な世の中になっていたでしょう)
とすると、今この世界線で行われている戦争、ロシアとウクライナとの紛争なんて絶対行われていないだろうし(ロシアの弱体化)、イスラエルとパレスチナの戦争も無かっただろう(イスラエル建国すらなくなった事が良い事とはいえませんが)
偶然と言えば偶然ですが、今問題となっている世界情勢があちらの世界では恐らく揃って問題が起きていないであろうという…複雑。
また或いは先の大戦の総括で時の総理大臣岸信介(安部総理の祖父ね)が昔のインタビューで「あれは侵略戦争だったね。だって植民地支配なんて他国だってやってることじゃん」て、かいつまんで言うとそんな事を言っていていてすっごく残念だった。
当時の日本人の成熟度ってそんなものだったのかと。
仮に…中国に侵攻したり東南アジアに進出して当時のヨーロッパ諸国の植民地支配から解放し、建前となってしまった満州国建国のスローガンであった
【日本民族・満洲民族・漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族の「五族協和」による「王道楽土」の建設】
を本当に実行していればまた違った世界線、しかも日本がアジアの盟主として隣国に恨まれることなく、現在の台湾と同様の友好関係を結べたであろうと返す返すも悔やまれてならないし、そんな世界線もあることを切に願う。
また少し話が逸れましたが、要はキーとなる事柄、きっかけによっては私の考えたこの世の中のゴールもぐっと近くに引き寄せられる、現実的に考えられるようになるのでは?
誰かの犠牲の上に幸せがあってはならないし、自分さえ涅槃に辿り着けばって考えも例え宗教の教えであっても間違っていると思う。
この世をあの世に化計画!
(核爆弾連発で滅びるってことじゃないよ)
そのきっかけはなんだろう…?
宇宙人の技術提供とかかな?
まぁそれがあっても物質社会の連中なんでまだ先があるだろうが…
なんにせよ、住みよい、居心地のよい、この世をまるであの世にいるような世界にしていきたいし、できたらいいな。